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部屋の中はみるみる暗くなっていく。
手探りで机の上のちゃちなスタンドライトをつけた。頼りない光が狭い部屋の角までをぼんやり照らす。
冷えきった床。
そこに足をつけないように、僕は椅子の上で膝を抱えて座っていた。
君は崩れたレコードの山の傍らに、全く動かずうずくまっている。
不規則に重なりあったレコードのジャケット。名前のわからない黒人の顔に、鋭利な濃い影がそこここで落ちる。
君はいつもこの部屋で音楽を聞いていた。それ以外の音は何も聞こえないくらいの音量だった。その中でだけ君は、やっと息をできているように見えた。
僕の声も届かなかったが、しかたなかった。
今、この部屋の中にはどんな音楽も流れていない。時折、ぶおぉ、と遠い音がする。いったい何なのだろう。
この部屋がこんなふうになっているのは初めてのことで、僕はどうしていいかわからなかった。
ただ君の、凍ったような爪先を睨み付けながら椅子に座っていた。
窓には反転した部屋がうつっている。君の姿は見あたらない。
外では雪が降っている。
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「カーテン、閉めようか」
「……」
どんな反応もよこさない君。生きているのかどうかも疑わしくなってきた。
僕は君のすぐそばを、忍び足で通り抜けた。息をするのも我慢して通ったが、やはり君が呼吸しているとは思えなかった。
雪のせいかもしれない。
窓に額を押し付けて見ると、するどく光る街灯が、一瞬ごとにちらちらとそれを浮かび上がらせていた。
「明日の朝には積もっているかもね」
ざくざくと踏みしめる想像が耳にいたい。
窓ガラスにできた虫食い跡みたいな呼気の結晶を拭き取ってからカーテンを閉める。
「あれ、暗い……」
振り返って見ると、全てが黒い影になっていた。
デスクスタンド、仕事しろよなオイと思った。星が暗闇の中で死にかけているように見える。
「君、上の灯りをつけてもいいかな」
駄目だろうな。音楽がない世界なんて、君は見たくないだろうから。
やはり、返事は無い。
僕はその場に座り込んで、君のみじろぎを待った。尻が冷える。
今夜、ここに来たのはたまたまだった。なんとなく。
扉を開けると、ワンルームのこの部屋はそれだけで端から端まで見える。
それで何が起きたのかをだいたい悟った。割れたレコードとか、君の乱れた服とかで。かすかに残った気配とか、においとかで。
馬鹿だなぁ、と僕は何の気なしに呟いて、その言葉がきちんと響き、そして僕の耳に届いたのにひどく動揺した。
「君、君」
呼びかけても君はじっとこたえない。僕の声だけが宙にふわふわ。
靴を脱ぎ捨てて君の表情を窺おうとそばに寄った。動作のいちいちに伴う音に怯えた。
腕で隠された君の顔を見ることはできなかった。
途方にくれた僕は椅子を引き寄せて座り、まとまらない思考で少し考えた。
今度の相手はどんな人だったんだろう。音楽の無い部屋に君を置き去りにして行ったのは。なんでそれを、君は、許したんだろう。
僕はぼんやり、異常な静寂にひたっていた。
視界の中心で、何度も君が滲んだ。
膝をついて僕はそっと君に近付いた。
君の華奢な心臓が割れてしまわないように、そっと。息をたくさん吸い込んでささやいた。
「君」
唇がかさりとなった。これが君の心の動く音ならなぁ。
「君」
薄い肩に手をおく。伸びた髪が乾いた感触でふれた。
僕の体温が流れ込んでいくのがわかった。だんだんとそこは温もっていった。
君は呼吸を止めたまま。
僕はため息を、つく。
この前の夏の終わりごろだった。
お昼を済ませて食器を洗っていたら、君が不意に、生きているのを実感するのはどんな時かと訊ねてきた。
僕は泡のついた手元から目を離さずに考えた。
「生ごみがにおった時かな」
「……なんだよそれ」
「生きてるって思うよ、まさに今」
呆れたっていうふうに君が僕から視線を逸らしたのを感じた。
なんてすばらしい世界なんだろう、と音量のあがった音楽が歌った。