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大方かたづいた頃、あのおばさんが急須をおぼんにのせてきた。
「お茶、お入れします」
「あ、どうも」
湯呑みにそそがれる薄緑色のお茶をなんとなく見ていたら、坂田が唐突におばさん、なんて話しかけるから、おばさんはぱっと急須の傾きを直した。
「はい?」
「おばさんさ、今、何歳?」
オイオイ、それはねぇだろ。
「……」
当のおばさん、パチリ、まばたき、パチパチともう二回やって首をかしげた。
「いくつに見えます?」
「こいつは五十とかかな、って。俺もそんなもんだと思う」
坂田があごで示して答えるので、おばさんとちょっと見つめ合うことになった。相手にしなくていいですから、と言いたかった。しかしおばさんはすぐに向き直って、坂田へ微笑んで、あれ、こんなにきれいな人だったかと、感じ入る間もなく、
「そう。つい一週間前に五十二になったのよ、惜しいわね」
カウンターの向こうに消えていくおばさんの、エプロンの結び目がきれいな背中をアホみたいに見送った。
坂田がお茶をすする、ずずっ。
「やっぱりさぁ、外から見えるのと実際そうなのと、年齢が一致してるといいよなぁ」
悩ましげなため息をつく、ほぅ。
「なんだよ急に」
「いやさ、若く見られてぇ奴らの気持ちもわからんでもないけど、やっぱり、な。生きてきた分の時間を隠しちまうのはもったいねぇとか、思うんだよな」
きっとあの女の子もちゃんと十歳かそこいらで、その分の若さでいて。
「五十年分の存在感の重みは背負えない分、これから吸収していく余地、未来への期待なんかで輝いていられる。変に大人ぶってないの、いいよなぁ」
女の子はまだ寝ている。
「年寄りみてぇなこと言うんだな」
「そうか?」
「まぁ、お前のストライクゾーンの広さがわかった。老若男女」
そういう問題じゃねぇ、とまた湯呑みに顔をうずめる、坂田はおもしろい表情をしていた。何か迷っている。なのにその、迷いが嬉しい。逃げたい、挑みたい、描きたい。
再開した作業の内に、自分たちの影が、現れ始めた。足元にくすぶっていた影がどんどん伸びて、カンヴァスをほの暗く覆った。あらまぁと思いつつその先を見ると、どうも景色が変わっている。何が違うのか、少し考えたら海が近づいているのだった。
満ちてきている。
「坂田」
じきにここも水に浸かる。
坂田はめんどくさそうに眉を寄せて唸ったけれど、絵筆を置いて、画材入れのふたを閉めた。
「悪いけどイーゼルごとその絵、持って来てくれる?」
「おう」
コンクリートの壁の方へ、水辺を離れる。
「遠くなっちまった」
坂田は目を細めて言った。坂田には、海のあそことそことの区別がついているらしかった。正直、どこも同じだろうと思う。馬鹿にされるだけだろうから口には出さないが。
そんなことよりも波に向かってさらされたあの石の方が問題だ。
坂田が座っていた石。
まだぬくもりの残った石。だんだんと水に浸かって、沈んで、坂田の絵にはカケラだって入り込めないまま、あれがあったからこそ坂田はここまで絵を描いていられたのにもう、どこにあったのかもわからなくなる。
不思議だ。
さっきまで座っていたのはどこだった?
影はもう伸びきったくらいに大きくなっていて、そうだな、あの石があるのはちょうどその心臓のあたりかもしれない。そうだといい。
海は、今日一番のおかしな色だ。黒味がかった青、明るい水色、うっすら黄金色、桃色、混ざり合って、背後には夕日。そんな色々ももう、収束していく。
いよいよ暗くなってきて、坂田はだらりと体を倒した。
「背中、痛くねぇの」
ちょっと首を傾けてうなずく仕草。
「少し」
だけ痛いけど、と呟いて腹から起き上がると絵の具に汚れた左手を挙げ、自分の髪をぐしゃぐしゃかき回した。銀髪に色が移った。シャツから砂が落ちた。
「あー……」
呆けたような表情で、カンヴァスの向こうの海を見ているようだった。
その絵は、絵の具で表面をもこもこと波打たせ、特に縁に行くほど分厚く、レースのようにはみ出た絵の具の層がマーブル模様になっていた。昼間の明るい海の色もはっきり残っていて、夕闇に溶けそうな絵の中にその部分だけそぐわなかった。
「なぁ」
「ん?」
なぁ、土方。
「俺はさ、時間を描きたかったんだ」
坂田はカンヴァスを裏からつかんで持ち上げ、縁を指さした。びらびらマーブルレース。
「この厚みがさ、時間に見えねぇか」
今日一日の海の場面をいちいち積み重ねた厚みなんだぜ。そう、坂田は得意げに言い切りたかったのだろうが。
「見えねぇな」
「……だよなぁ」
一緒になってほおづえついている。いつも通りの覇気のない表情。
「なんつーの、完成した趣っつーか?要は表面、だけだなぁ、見えんのは」
つーか、絵の具が時間に見えるわけねぇだろ。
「だよなぁ」
かっくんかっくん、顎を支点にうなずく。こんな返答も全て予想していたんだろう。
「びらびらマーブルレース」
あんまり張り合いがなくてつい言ってしまったその時、ぎらっと坂田の目が光って驚いた。そのままカンヴァスは片手で放り投げられて、こわくわん、なんてむなしい音をたてた。
「自棄になんじゃねぇよ」
「うあああああー」
坂田は再び横になってしまった。
しかたなく絵を拾いに行く。波にさらわれてしまいそうで怖かった。
そこであぁ、と気付いた。
この絵の具、も波に溶けたら海になれるんだなぁ。
拾い上げたカンヴァスの跡、なめらかな石に白っぽい絵の具がついて輝いて見えた。それも手に取ってみる。薄く何層にも重なる絵の具がマーブル模様を鮮やかに浮かび上がらせていた。
ひときわ明るいのは昼飯を食べた直後に塗った層か。桃色が使われたのは夕日がまぶしいころ。
「……」
二人でいた一日。
砂浜の思い出。
土方はその石を、砂利の上へ戻した。
振り返って、情けなく丸まられた背中に呼びかける。
「坂田」
時間よ、海になれ。
「帰ろう」
・・・
おわり
・・・
銀さんの誕生日をきっかけに久しぶりの更新です。
本誌もえらいことになっていますが、銀さんを、銀魂を、愛しています。フォーエバー。