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空気をすってはいて僕たちは生きている。
僕は傍らのレコードの山を、空いている方の手で探った。
「君のための呼吸器―」
それを誰よりもわかっているのはきっと僕でしょう。もしかしたら君以上にわかっている。
ジャケットの表面が一番なめらかに滑るものを選んだ。ピアノと、作業着みたいな格好の黒人が写っている。
君の肩から手を離し、その中からレコードを引き出して。
僕は、音楽を流した。
音の少ない曲だった。
突然、とても寂しくなった。
人の手に、押されては戻るピアノの鍵盤。
一人で君が浸っていた音楽。
そこで確かに、君の呼吸を感じた。嗚咽を聞いた。
少しだけ僕は声を出して笑った。
結局、君は音楽の中でだけ息をするのだ。
「馬鹿だね、君」
小さな声で、君はこたえた。
「君はもう、音楽をきかないつもりだったのに。すてるつもりだったのに」
泣いているのかもしれない。少しかすれている。
僕の目は暗い部屋にかわいたままだ。
「また、壊されてしまったんだね」
「あぁ。もう壊されたくはない」
「壊れるようなものじゃない」
「そう、信じてた…っ」
そうだ、いつの間にか君は自分の音楽を失っていた。
その時の話はほんの少ししかされていないが、想像はできる。内側でいつも響いていた音楽が途絶えて、君は呼吸を失った。
それは唐突に失われたのだ。
内側の、自分では気付かれないところで行われたのだ。
そうして君は外側に音楽を求め、今日、それさえも失った。
外側の危険くらい、簡単に予想できたはずなのにやっぱり君は馬鹿だ。
そのために音楽をすてようって、そんなこと、僕は許さない。
「それは君にしかないものだ。僕には見ることもできない」
君が、僕を見た。
「まだきこえるんだろう?君にはすてられないよ」
「だけど、抗えなかった。君はこわいんだ。この先も、情念にさらわれて、自分でそれを壊してしまうんじゃないかって」
わずかな灯りが涙に反射していた。
「抗わなくてもいい。じっと、いだき続けることはできないのか」
「できなかったんだ」
できるはずだと僕は思う。それは何度、壊れてもすてることのできないものだ。そうあるべきだ。
「そうあるべき、って……」
君は目をぎゅうと細めた。
「じゃぁ、僕は!」
僕は、君を壊さないでいられるのか?
「……」
とっさに、言葉が出なかった。
どういう意味だ。
君のまなざしがとても強く、突き刺さる。どうしようもない不安が襲ってきた。
僕は君を守ろうとしているのに。
ふと、浮かびかけた想像を、つかみ損ねた。
「わ、わからない」
「……わからない?」
不自然に作られた表情が僕を責める。ゆっくりと、唇が動く。
「君は僕のことが好きなんだ」
「……」
僕の喉は、また詰まってしまった。
つかみ損ねた想像。頭の中を、鮮やかな映像がめぐっていく。
横たわった君が僕を見つめていて。
君の手が僕に押さえつけられてきしんでいて。
みしみしとレコードの割れる音をききながら、僕は君の足を抱え上げて。
君がその陰で、笑う。
「やめろ」
思わず言ってから、我にかえって口を押さえた。
君の表情は変わらない。予想しきってでもいたかのように。
「僕は……そろそろ帰る」
足が冷えて、立ち上がるのに苦労した。膝がずれている気がする。そこから体が滑り落ちてしまうような気がする。
「帰るよ」
見下ろすと、君はまっすぐ僕を見ていた。
そして青白く見える腕を伸ばして、僕の膝に触れた。ジーンズの縫い目をたどり、シャツの裾。
「……」
暗い部屋の中で、音をはじく君の表面。
錆びついた手が、僕のシャツを掴んで、君と僕は見つめ合ったまま。
強い力で引き寄せられる。
君の背中でレコードの山がまた崩れた。僕が床についた手の下でも。
「僕が、君を生かしたんだ」
狭い部屋に音楽が満ちている。
「君は、僕がいるから生きていかれるんじゃないのか」
唇が触れ合いそうな距離の間にも、それは入り込んでいる。
「そして、僕がまた君を壊すんだ。」
殺すんだ。
君が音楽をすてないかぎり、それを繰り返す。
僕は目をつむった。
音楽の隙間には、ただ、息をすってはく君がいる。
窓の外ではつもった雪が、この部屋に僕と君とを閉じこめている。